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2022.11.10 Update

【お茶の基礎知識】国内緑茶生産量の1%以下の希少なお茶!「釜炒り茶」とは?

#お茶の基礎知識 #宮﨑県 #釜炒り茶

日本人にもっともなじみ深い“黄緑色”のお茶「蒸し製緑茶」

“新着情報”ページの、
【募集中!!】11月26日(土)釜炒り茶の里、宮崎県高千穂で“茶たび”開催
の中で、「釜炒り製緑茶(釜炒り茶)」について少し触れましたが、今回は、もう少し詳しく、このお茶のことを紹介したいと思います。

「お茶」「緑茶」「日本茶」と言われて、真っ先に浮かぶのはどんなお茶ですか?

おそらく、多くの方の頭の中には、「針状の細くて深い緑色をした茶葉」や、「茶碗に入った黄緑色のお茶」が浮かんだのではないしょうか?

蒸し製緑茶

そのお茶は「蒸し製緑茶」です。

もっとも飲む機会の多い「煎茶」の他に、高級茶として知られる「玉露」や「碾茶(てんちゃ・これを石臼で挽いたものが抹茶です)」などがあります。

現在の国内緑茶生産量及び流通量のうち、ほとんどを占めているのが、この「蒸し製緑茶」。

荒茶製造工程で、“蒸す”のが「蒸し製緑茶」、“炒る”のが「釜炒り製緑茶」

摘み取ったばかりの茶の葉は、まだ生きていて呼吸をしているため、たくさん積み重ねておくと次第に熱を帯びてきます。つまり、摘み取った直後から酸化酵素の働きにより、発酵がはじまってしまいます。

その発酵を止めるために、茶葉が新鮮な状態のうちに熱処理を行うのですが、その熱処理に高温の蒸気を用いるのが「蒸し製緑茶」です。

ちなみに、上記の工程「生葉を熱処理することで、葉の形状を整えつつ、水分量をある程度まで下げ、保存に耐えられる状態にすること」を「荒茶(あらちゃ)製造」といいます。

一方、今回ご紹介する「釜炒り製緑茶(釜炒り茶)」は、この荒茶製造の工程で、「蒸す」のではなく「炒り」ます。300~400度の鉄製の釜で炒ることにより発酵を止めるのです。

宮﨑県西臼杵郡日之影町「一心園」さんの釜

お目にかかる機会が少ない「釜炒り茶」。その特徴は?

釜で炒ることにより、「釜炒り茶」の茶葉は勾玉状になり、水色(すいしょく・お茶を煎れた時の色)は黄金色になります。そして、「釜香(かまか)」と呼ばれる独特の火香が生まれます。香ばしく爽やかで、心地よい香り。

この「釜香」、煎を重ねお茶の葉が開いていくごとに、香りと味わいが変化していきます。

もっともポピュラーな「蒸し製煎茶」が1回で茶葉を捨てることもあるのに対して、5回6回と飲むことができ、飲み進めるごとに変化する香りや味わいを楽しむことができる、いわゆる「煎がきく」のも、「釜炒り茶」の大きな特徴です。

あと「釜炒り茶」の特徴でお伝えしておきたいのが、「お米によく合う!!」ということ。「釜炒り茶」でつくった「お茶漬け」、おいしいですよ~。

釜炒り茶生産量 日本一の宮﨑県のHPより

「釜炒り茶」の歴史

さて、次は「釜炒り製緑茶」、通称「釜炒り茶」の歴史について、ざっくり触れたいと思います。

まずは、中国のお茶の歴史に少し触れます・・・

中国、宋の時代(960-1279年)は、貴族や、役人・文人などの富裕市民に限られていた喫茶の習慣が、明の時代(1368-1644年)には一般市民へと普及しました。この頃、「釜炒り製法」が流行し、それまで主流であった「蒸し製法」に変わって、「釜炒り製法」のお茶が多く流通するようになりました。

この中国の「釜炒り製法」でつくられたお茶及び、「釜炒り製法」の技術や道具が海を渡り、1406年に福岡県八女へ伝承されたと言われています。

現在の日本で主流となっている「蒸し製緑茶」が創始されたのは1738年といわれているので、その300年以上も前ということになります。

「蒸し製緑茶」創始後も、多くの「釜炒り製緑茶」がつくられ、流通していました。1900年代前半までは、「蒸し製」と勢力を二分するほど一般的であったのですが、その後、だんだんと生産量が減少。現在では、生産量の99%以上が「蒸し製」で「釜炒り製」は1%以下(0.5%を下回るとか、0.2%程度というデータもあります)となってしまいました。

「釜炒り茶」の生産地

全盛期には、茶産地として知られる地域はもちろん、全国各地で生産されていた「釜炒り茶」ですが、もっとも生産が盛んであったのは九州地方でした。

1960年代までは九州各地で生産され、九州だけでも900余りの釜炒り茶工場がありました。また、この頃までは、お茶生産を生業とする農家以外の家庭でも、手炒りで釜炒り茶をつくり自家用として飲まれていたそうです。

それから60年あまり・・・、ほとんどの地域の「釜炒り茶」生産が途絶えました。

現在では佐賀、熊本、宮崎3県の山間部が主な産地となっていますが、産地を中心に消費されているので流通量が少なく、お茶の専門家であっても「釜炒り茶」について充分な理解のある方が少ないといわれているほど、珍しく、希少なお茶となってしまいました。

「釜炒り茶」減少の要因は?

『1900年代前半には「蒸し製」と勢力を二分していた「釜炒り茶」が、100年後には数%になってしまった原因は何だろう?』と思われた方も多いのではないでしょうか?

●「蒸し製」の機械化が急速に進み、効率的に大量生産できるようになったのとは対照的に、
 「釜炒り製」の機械化は遅れた

●「釜炒り製」も機械化されてはいるが、釜妙り茶特有の伝導伝熱を利用して行う製造工程
 は完全な機械化が難しく(一度に沢山の生葉を均一に炒るということができない等)、
 多くても一度に100キログラムほどしか処理することができない

●「蒸し製」が急速に広がり、日本中があっという間に「お茶と言えば蒸し製」という認識
 になってしまった

●お茶の品評会の評価基準も「蒸し製」を中心としたものとなってしまい、評価されにくく
 なった

●近年の国内お茶消費量の減少により、「蒸し製」「釜炒り製」を問わず取引価格が下落し、
 離農者が増え、新規就農者は減った。もともと小規模生産者の多い「釜炒り製」は、より
 顕著に打撃を受けた

  などなど、いくつもの要因があると思われます。

私たちも、なぜ「釜炒り茶」がここまで減ってしまったのか?この数%を守り、次世代に繋げるには、今、何をすべきなのか?産地をまわりながら勉強している最中です。

「釜炒り茶」を消滅させないために、まず「釜炒り茶」を知る

「釜炒り茶」をつくるには、熟練された技術や経験側や感覚が必要です。鉄製の釜で炒るとき
も、機械を使って炒るときも、それは変わりません。機械化された分、体力的な負担は軽くなっても、機械を扱うのは人。気温や湿度、そのときの茶葉の状態、茶葉を取り巻く全ての環境
を加味しながら、香り高い「釜炒り茶」に仕上げていく、まさに職人技です。

この技が一旦途絶えてしまったら、復活させることは難しい。機械を動かすプログラミングを修復するのとはわけが違い、何十年とかかることでしょう。いや、もしかしたら、何十年かかっても復活は難しいかもしれません。

「釜炒り茶をなくして欲しくない!」そう思われた方は、ぜひ、一度、「釜炒り茶」飲んでみてください。インターネットでも購入が可能ですが、例えば、佐賀県、熊本県、宮崎県などの「釜炒り茶産地」に行かれる予定がある方は、現地で飲まれることをお勧めします。

 釜炒り茶が育まれた土地の力を感じながら、また、600年以上「釜炒り茶」を守り続け受け継がれてきたという背景を感じながら飲むお茶は格別です。

話が戻りますが、そういう意味でも、宮崎県高千穂の“茶たび”、とてもよい機会だと思います。

「このお茶は、どのような生産者の手により、どのような想いで、どのような場所で育まれたのか」それらを感じながら「釜炒り茶」を飲む。贅沢な時間になることでしょう。

※参考文献:
・「日本の釜炒り茶」 熊本県県北広域本部農林水産部農業普及・振興課
  https://www.jstage.jst.go.jp/article/cha/2018/125/2018_1/_pdf

・「釜炒り茶の品質と製造効率に関する基礎的研究」 宮崎県総合農業試験場
  https://agriknowledge.affrc.go.jp/RN/2010852567.pdf

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