2022年4月、そろそろ新茶シーズンに入るある日、茶道のお稽古中にお師匠にふと訪ねてみた事がきっかけとなって、これから始まる壮大なプロジェクトのゲートが開きました。
「吉野ケ里の栄西さんの茶畑って今どうなってるんですか?」
その後は、水が川上から川下へ流れるごとく話が進んでいき・・・
栄西さんの茶畑がある佐賀県吉野ヶ里町のお茶のキーマン、元東脊振村村長の多良正裕さんに繋いで頂き、現場に何度も伺い、お話を聞き、地域や脊振山を歩いて、だんだんと現状が見えてきました。
ここも、全国各地と同様、存続困難な状況でした。
生産者の高齢化、地域のJAさんに販売する昔ながらの形、停滞する買取価格。
地域生産の衰退が至る所に見られます。
多くの文献に書いてある「栄西さんが植えたお茶がある」脊振山。
古くは霊山として多くの修行僧が暮らす山岳密教の修験場で、「脊振山」は江戸期までは山系一帯にある坊の総称でした。
その坊の一つ、石上坊(いわかみぼう)の庭に、栄西さんが宋から持ち帰った茶の種を蒔きました。
栄西さん(1191年)よりも早く、805年に同じく僧侶の最澄さんが唐より茶の種を持ち帰り、比叡山の麓、大津の里に蒔かれ育ったのが日本茶の祖。
でもその最澄さんのお茶はその後、徐々に途絶えてしまい、それから300年を経て、再び栄西さんが宋から茶の種を持ち帰り、佐賀県神埼郡吉野ケ里町の脊振山山麓に蒔いたのが、今現在、僕たちが飲んでいるお茶の起源となっています。
その後、栄西さんは源実朝に「喫茶養生記」(養生の仙薬・延命の妙術なり)を献じて茶の薬用を説き、喫茶が武家社会にひろまりました。
この吉野ヶ里地域の釜炒り茶は、その昔は「石上茶(いわがみちゃ)」という銘柄でした。
現在は、わかりやすく「栄西茶」として販売しています。
多良さんに吉野ケ里町のお茶の現状をお聞きしました。
「高齢化し、後継者がどこもいない状況ではあるが、何とかこの地域のお茶生産を残したい。日本茶の起源である栄西さんのお茶がある脊振山の山茶も保全をしたい。それが私の役目である」
現状と同時に、多良さんの熱い想いも伺い、「何かしら僕に出来る事があるのではないか」と真剣に考えました。
お茶はそもそもが6次化商品。
生産者が、生産~製造(加工)~販売を行って来ました。
近年、ペットボトルのお茶が販売される様になって、リーフでお茶を煎れる人が少なくなり、お茶あまりの状態に。。。
国はそんな状況から、日本茶の輸出に力を入れ、各地でいろいろな取り組みを行っています。
海外ではやはり抹茶が人気です。最近はほうじ茶も。
しかし、ここ吉野ヶ里町の様に、既に70歳を越えた小さな規模の茶産地では、農業年金をもらっている生産者さん達に「再度お茶作りを本格的に」とお願いしても、到底無理な話。。。
さてさて・・・
まずは取組めるところからスタートしようと、8月現在、多くの企業の知恵を借り、ワクワクするプランを構築しています。 でも、まずは草取りから。
来年(2023年)の新茶を販売するところまで辿り着けます様に・・・
多良さん、現在は小学校の子供達に地域の茶の歴史を伝える為に、自園の茶畑で毎年お茶摘み、お茶作り体験を行っています。
子供達と一緒に摘むお茶は、無農薬。
また「地域の生産者の活力になれば」と放棄していた茶園の再生も始めています。 そして、今年で辞める予定であった茶園も借受け、来年の新茶に向けて手入れも開始しました。
福岡や佐賀の学生さん達の力も借りて、今後、茶園の草取りなどを行って行きたいと思います。
現在、私たちが飲んでいる日本茶の起源、「栄西茶」を守るための取組に、皆様も是非ご参加ください。まずは「草むしり」から!
美しい景色の中で、美味しい空気を吸いながら、日本茶の歴史に想いを馳せ、みんなで気持ちのよい汗を流してみませんか?
昼食に栄西茶とおにぎりをご用意して、お待ちしています!
◆日時:2022年9月4日(日)11時集合 ※終了は15時半ぐらいを予定しています。
◆場所:道の駅 吉野ケ里 さざんかの里(佐賀県神埼郡吉野ヶ里町松隈1710-11)
http://www.qsr.mlit.go.jp/n-michi/michi_no_eki/kobetu/yoshino/yoshino.htm
◆問合せ先:エコバイ株式会社
https://ecobai.jp/contact