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日本茶BANKが紹介するお茶の事

2023.04.24 Update

@栄西さんの茶(佐賀県吉野ヶ里町) その後①

#佐賀県 #栄西 #脊振山 #釜炒り茶

「栄西さんの茶」のおさらい

約8か月前、2022年8月23日にUPしたコラムで、佐賀県神埼郡吉野ヶ里町の「栄西茶(えいさいちゃ)」について紹介させていただきました。

前回のコラムでは、

●栄西さんの時代(1141年)よりも早く、805年に栄西さんと同じく、僧侶の最澄さんが唐より茶の種を持ち帰り、比叡山の麓、大津の里に蒔かれ育ったのが日本茶の祖。

●しかし、その最澄さんのお茶はその後、途絶えてしまい、それから300年を経て、再び栄西さんが宋から茶の種を持ち帰り、佐賀と福岡の県境にある脊振山山麓に蒔いたのが、現在、私たちが飲んでいるお茶の起源となっている。

●栄西さんの茶畑がある佐賀県神埼郡吉野ヶ里町のお茶のキーマンである、多良正裕さんや地域の方々と共に、「栄西さんの茶」を守り残すための取組を開始した。

というところまでお伝えしました。
今回は、その後のご報告です。

脊振山はどこにある?

まず、その前に、栄西さんがお茶の種を蒔いた場所、「脊振山」について少しご説明したいと思います。

上記の地図は、佐賀県HPより引用

「脊振山(せふりさん」は福岡県福岡市と佐賀県神埼市の間に位置する山で、「せぶりやま」とも呼ばれます。

標高は1,054.6m。日本百名山の一つで、日帰りで本格的な登山を楽しむことができるため、登山者にも人気があります。脊振山に訪れる人が一番多いのは、ちょうど今頃、コバノミツバツツジやツクシシャクナゲ、カリンやコデマリなどの花々が美しく咲く、4月~5月のシーズンです。

古くから山岳信仰の歴史を持つ背振山。この一帯は、8世紀頃から山岳仏教の聖地として栄え、かつては、修験道場として様々な大伽藍が建ち並んでいたそうです。

※伽藍(がらん)・・・僧侶が集まり修行する清浄な場所のこと。後に、寺院の土地や主要な建物群を意味するようになった。

現在でも、山頂に向かう途中には栄西禅師の記念像があったり、山頂には脊振神社があります。

また、山頂付近まで車でアクセスすることもできるため、航空自衛隊のレーダー基地(背振山分屯基地)があったり、山頂からの絶景を求めてドライブに訪れる人も多くおられます(山頂からは、福岡市街から玄界灘までを一望できる)。

山頂から出典:PIXTA

脊振山の山麓にある、栄西さんの茶園

さて、お話を、「栄西さんの茶」に戻します。

そんな背振山の山麓にある、霊仙寺跡(りょうせんじ。佐賀県神埼郡吉野ヶ里町)には、「日本最初之茶樹栽培地」という石碑が建っています。

この石碑通り、霊仙寺には「栄西さんの茶畑」があり、霊仙寺一帯には多くの茶畑が広がっていたそうです。

以来800年以上もの間、この地の茶栽培は細く長くが続けられ、栄西さんの茶畑と、栄西さんを起源に持つお茶が守られてきました。しかし、昭和の終わり頃より、容赦なく、過疎化・高齢化・生産者の減少・生産規模の縮小が進んでいき、茶畑を守ることが年々難しくなっていきました。

明菴栄西(みょうあん えいさい/ようさい)

「栄西茶を守る!!」多良正裕さんの挑戦

『このままでは、近い将来、”茶樹栽培発祥の地の茶畑”がなくなってしまう!自分がなんとかしなければ!』

そんな想いから、30年以上も前から、栄西さんのお茶を守るべく、行動し続けている方がおられます。

2022年8月23日にUPしたコラムでも少しご紹介させていただいた、多良正裕(たら まさひろ)さんです。

きっかけは、1991年、多良さんが東脊振村(2006年に三田川町と合併し、現在の吉野ヶ里町となる)の役場職員だったとき、「栄西さんがお茶を伝えてまもなく800年」という節目の年を迎えることになったこと。

「町としても盛り上げよう」と考えた多良さんは、名古屋大学や九州大学の調査を紐解き、佐賀県の郷土史研究の第一人者である故 福岡 博先生に教えを仰ぎ、栄西さんのお茶について、多くのことを調べはじめました。

調べていくうちに、この地とお茶が深く関わってきたことを知り、「”茶樹栽培発祥の地の茶畑”を絶対に失くしてはいけない」という想いがどんどん強くなっていきました。

しかし既に、この地に残る茶畑はごくわずか。産業というにはほど遠い状況にまでなっていました。

多良さんは、なんと自ら茶畑を開墾して、茶栽培をはじめることに。そして、役場職員として「脊振千坊聖茶まつり」を企画し、地域内外にこの地の茶を発信するとともに、この地でつくられる茶を「栄西茶」と名付け、ブランドを統一しました。

多良正裕さん(72歳)、元東脊振村長(合併後、吉野ヶ里町長)

以来、「脊振千坊聖茶まつり」は合併後も、吉野ヶ里町に引き継がれ、現在も、3年に1度開催されています(直近の開催は2022年5月。次回開催は2025年を予定)。

多良さんもまた、自ら茶畑で栄西茶の栽培を行いながら、「日本茶アドバイザー」「お茶の歴史研究家」「日本茶栽培発祥の地保存活動」などの活動を通して、地元の小学生にお茶について指導を行ったり書籍を出版されたりと、「栄西茶」を発信し続けておられます。

「起源香」プロジェクト始動!

そんな多良さんに賛同する地域の方たち、そして、当社、エコバイ株式会社も参加させていただき、栄西茶を守るためのプロジェクト、「起源香(きげんこう)」を発足しました。

「起源香(きげんこう)」という名前は、

●栄西茶は、鉄釜で茶葉を炒るという、希少な製法でつくられる「釜炒り茶」。出来上がったお茶は「釜香」という、「釜炒り茶」特有の、香ばしく爽やかな香りがする。

●約830年前、乱世の世の中で日本人の枯れた心を癒したいという想いから、この場所に、栄西さんの手によってお茶が蒔かれ、この場所から、お茶が日本中に広められた。そして、長い年月を経て、人々に親しまれ、日本人の原点といえる「日本茶の文化」となったこと。

●栄西さんが日本にお茶を持ってきたように、「起源香」が新しい物語を始める人の支えになれたら。何か新しいことを始める人に向けてエールを送るブランドに育てたい。

という想いを乗せて付けられました。

「新しいことを始める人へのエール」の他に、「起源香」が目指すのは、「“拡大”ではなく、“持続可能”な茶事業」。

役場職員として現場を経験し、村長や町長として町全体のことを考え、生産者として農業を行ってきた、プロジェクトの発起人でありリーダーである多良さんの視点は、公共的で多角的。そして、現実的で実践的。

郷土愛と、お茶に対する熱い想いを持ちつつも、ただの「夢ものがたり」にしないために、堅実な計画を立て、それを行動に移すことを繰り返しながら、着々とプロジェクト遂行しています。

また、このプロジェクトの一環として、クラウドファンディングに挑戦すべく、現在準備を進めているところです。準備が整ったら、また、こちらでご報告させていただきます。







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