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京都
宇治茶(うじちゃ)

 「宇治茶」は、
『歴史・文化・地理・気象等総合的な見地に鑑み、宇治茶として、ともに発展してきた当該産地である京都・奈良・滋賀・三重の四府県産茶で、京都府内業者が府内で仕上加工したものである。ただし、京都府産を優先するものとする』と定義されている(宇治茶の商標登録より)。

 また、狭山茶(埼玉県)、静岡茶(静岡県)とともに、三大銘茶の一つとして絶大な知名度を誇っており、高級茶の代名詞にもなっている。

 その歴史は古く、鎌倉時代(1185~1333年)前期、日本臨済宗の開祖であり茶祖ともいわれている、栄西禅師(えいさいぜんじ)から茶種をもらいうけた、栂尾山高山寺(とがのおさんこうざんじ)の明恵上人(みょうえしょうにん)が、栂尾(とがのお)で茶の栽培を始め、後に宇治にも茶を伝えたのが始まりとされている。

 記録として確認されるのは南北朝時代(1334~1392年)で、その頃の書物には、茶産地の一つとして「宇治」の名が記されている。
 しかし、この頃は栂尾(現、右京区梅ヶ畑栂尾町)の茶が一番とされ、宇治茶はそれ以外の茶という扱いであった。

 室町時代(1393~1573年)にあたる、14世紀半ば頃に、喫茶の習慣が広がり、この頃の公家や僧の記録には、宇治茶が贈呈用として扱われていたことが記されている。
 14世紀後半には、宇治の茶が栂尾茶と並び、天皇や将軍家が愛飲するトップブランド茶となった。

 16世紀初頭、「茶の湯」が登場し、商人の間で流行、それが時の権力者と結びつき、やがて支配者層である大名においても流行した。

 16世紀後半、宇治で「覆い下(おおいした)栽培」と呼ばれる栽培法が開発された(もともと、新芽を霜から守るために被覆していたが、この霜よけ被覆の有無によって茶の品質が明らかに異なったことから、「覆い下栽培」は高品質な茶を作り出すための技術として定着した)。
 この栽培法を用いて栽培された茶は、鮮やかな濃緑色で、うまみが強く、日本随一との評価を得る。こうして、日本特有の「抹茶」が誕生した。
 千利休が大成した「茶の湯」は、この宇治茶(抹茶)を第一としたため、宇治茶の品質はますます磨かれていく。

 また、「茶師」と呼ばれる、茶園を経営し顧客に茶を供給することを生業とする商人も増えていき、江戸時代、この宇治茶師は、今の宇治橋商店街を中心として屋敷を構えるようになった。
 彼らは江戸幕府から特権を認められ、将軍に献上するため、新茶が採れると良質の茶を壺に詰める作業を行うとともに、それぞれが全国の大名等を顧客に持ち、宇治茶の流通を担っていた。

※参照元
 ・公益社団法人 京都府茶業会議所
  https://www.ujicha.or.jp/
 ・宇治茶世界文化遺産登録推進プラットフォーム事務局
  https://ujicha.kyoto/

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